ここでも、学生たちはかわいいです(^^)
ラ米の学生たちは、それこそ天真爛漫、明るくて、ときどきうるさすぎて大声張り上げることも多々ありました。
苦労してでも上手になりたい、というよりは、楽しく勉強できればいい。
「日本文化が好きだから」というキラキラオーラに包まれていました。
歩みが遅く、でもやたら明るいし反省もしない自由な彼らに手を焼いたこともしょっちゅうでしたが、それはそれでかわいかった。
でも、マレーシアの学生たちは、まったく擦れていないのやキラキラしているのは同じですが、全然違います。
どちらかというと大人しい印象。特に女の子。
恥ずかしがるし、声も小さいと思います。よく聞き取れないことがしばしばあります。何度も聞き返して本当におばーちゃんみたい。
(余談ですが、マレーシアでは女性と言えば声が小さくおしとやかなもので、そういう女性が好まれるそうです。ムスリムではない中華系の人が言っていたので、宗教的というよりは社会的な考え方のようです。)
そして、なんというか「よくしつけられている」。
反抗しません。言い訳しません。文句言いません。先生の言うことには絶対従います。
そして細やかな気遣いもしてくれます。それは感動をおぼえるほど。
ここでは先生は対等ではなく、上の、力のある、尊敬されるべき人なのです。
私の赴任先の学生たちはみな日本へ留学するため、日本留学試験(EJU)に合格するために日々勉強をしています。ひらがなも読めなかった人たちを、たった2年間で日本の大学の授業について行けるようにするのですから、教師はぬるいことは言っていられません。学生はそれはそれはタイトでハードなスケジュールと山のような課題をこなしていかなければなりません。
しかし、学生たちは文句も言わずにやります。
自分(の夢)のために勉強しているんだ、と、ちゃんと自覚しています。
ひたすら書きとり、何度も間違えてやり直し、というような、楽しくない地味な作業(しかも大量)も、何のためにやっているのかちゃんと理解して、ちゃんとやってきます。
(中にはごまかそうとする学生もいますが、結局ちゃんとやります)
私がときどき「こんなに宿題あって大変だね」と言ったり、勘違いで余計に宿題を出してしまったりしたことがあって謝ると、「自分のためですから。」とか「勉強になりますから。」とか言います。
そんなとき、ぎゅっと心が締め付けられます。
無理をしているのに本音を言えないのではないか、という気持ちと、自分で課題を出しておきながら、がんばっている彼らに対して「大変だね」とか、まるで当事者じゃないみたいに言うべきじゃなかった、と軽率な発言を反省したりします。
そして、「しつけられてる」に関係すると思うのですが、彼らはよく「先生決めてください。先生が言うことに従います。」と言います。
先ほども言ったように、先生は上の存在、というものもあるんでしょうし、これまでに受けた教育の性質というのもあるんだと思いますが、座る席やグループ、発言する人なども先生に委ねようとしてきて、非常に受け身なんです。
宿題や課題の場合は文句も言わず助かっていますが、その反面、あまりにも受け身で「自分たちで考えて決める」ということをしません。
そのほか、びっくりしたことは、授業の前に起立・礼の挨拶のあと、お祈りをすることです。
授業前のお祈り(もちろん私に対してではないことは分かっています)は初めての経験です。
今は3週間の集中授業中。
毎日朝から夕方まで日本語オンリーで、私たちにとってもハードな時間ですが(宿題・クイズの量がハンパない→チェックしなければならない量もハンパない)、学生たちががんばってやってきているのに、こちらががんばらないわけにはいきません。
学生も本気。教師も本気。
手抜きや妥協は一切なし。
いろんな場面で、自分の教師としての未熟さ、予備教育に対する覚悟のなさに気付かされている日々です。
ここは、ラテンじゃない。
まず、私自身の意識改革が必要なようです。
いい教師になりたい。
じゃ、いい教師とは?
ここは私にとっても「いい教師」になるための修業の場です。