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2011年 03月 29日
ようやく、このページをひらきました。
忘れてはいけないことなので、書き留めておきます。 2011.3.11 午後2:46に東北&関東地方で大地震がありました。 岩手、宮城、福島では甚大な津波の被害があり、私のふるさと北関東も大きな被害を受けました。 私はちょうど大学のある町に帰ろうと、買い物がてら妹のアパートを訪ね、姪をあやしていたところでした。 はじめはいつもと同じぐらいだったのですが、その揺れは次第に大きくなり、立っていられないほどになりました。 腕の中には生後2か月の姪。とっさにダイニングのテーブルの下に入りましたが、 周りで物が落ちる鈍かったりするどかったりする様々な音、食器が割れて飛んでくる破片、すごい振動、テーブルすら飛び上るほど。 あまりにも揺れるので、アパートが倒壊するか床が抜けて落ちるんじゃないかと思いました。 私はパニックになりそうな頭をなんとか働かせて、妹に「玄関のドアあけて!出口確保!!」と叫びました。 今思えば激しく揺れる中、足をとられ、上から物が落ちてくる中、そんなところまで行けるわけはないのでした。 やっぱりパニックになっていたんだと思います。 それでも、腕の中の小さな命が、私に正気を保たせてくれました。 やっとおさまったかと思うと、また大きな揺れ。それが何回か続きました。 まるで違う世界にいるような、悪い夢でも見てるんじゃないかと思うほどでした。 とても長い、時間でした。 この時3つの震源で地震が発生していたことは後で知ったことです。 テーブルの下から出てみれば、いつもきれいに片づけてある部屋の中が荒れ放題に荒れていました。 ほんの数分前とはまったく違うところに来たかのようです。 まだまだ続く余震の中、玄関までたどり着き、飛び出るようにして部屋から出ると、これまた目を疑いました。 近所の家々の壁が壊れ、屋根瓦が落ちています。 アパートの前の駐車場に出たところで、ようやく少し安心できました。 とにかく家族に連絡しようと携帯電話を取り出しましたが、全然つながりませんでした。 何も持たずに飛び出してきてしまったので、情報が入りません。 ご近所さんが聞いていたラジオを一緒に聞かせてもらいました。 10分後に津波が来るとのこと。 でもここは内陸なので大丈夫だろう。 赤ちゃんがいることに気付いたご近所さんは、「赤ちゃん寒くてかわいそうだからうちの車に乗っていなさい」と言ってくれました。みんな精神的にギリギリいっぱいのところにいるのに、この優しさはなんでしょう。 余震の感覚が狭まってきたところを、アパートの部屋に戻り、とにかく車のカギの入ったカバンを持って出ました。それからは電柱が倒れてきてもいいような安全なところに車を止めさせてもらい、ラジオを聴き入りました。下の下位に住んでいる女性も一人で心細く、一緒にいました。 とにかく情報がほしかった。 それから何度か余震の合間を見計らっては当面必要なものをちょこちょこと取りに行き、気持ちも余震もおさまってきたころに、救急車と消防車のサイレンが聞こえるようになってきました。 妹は姪と一緒にここに残ってとにかくダンナが帰って来るのを待つということで、私は一人実家が気になって実家に車を走らせました。 通る道のわきには、無残にもガラスが割れた店、看板が落ちてしまった店、塀も門も壊れてしまった家を目にし、瓦が落ちて道路をふさいでしまっているような、信号も動いていない道を恐る恐る通りながら、家路へと急ぎました。 わが実家は古いので、瓦は間違いなく落ちているだろうと思いました。 火事になってやしないか、家の中はどうなっているんだろう?? しかし我が家は塀の一部が落ちてしまっただけで瓦も家の中も無事でした。 どうやら家のあたりは地盤が固かったようです。 母親がすぐに仕事場から帰ってきて、一緒に崩れた塀の撤去をできるところだけしました。 その後暗くなってきたので、妹夫婦を迎えに行き、我が家に避難させました。 その夜はもちろん停電。水道の水も出ません。 しかし、ここは田舎。ガスはプロパンだし、水も井戸があります。 食べ物もコメもあれば裏の畑に行けば野菜もあります。 井戸から水をくみ上げてストックし、ガスでコメを炊き、おにぎりを作ってランプとろうそくの明かりで食べました。 湯たんぽを作って暖をとりました。 みんなでラジオに耳を傾けながら、この非常時に水も食料もある喜びをかみしめました。 そしてそれぞれの地震発生時の様子を言いあいながら、「みんなとにかく無事でよかった」と、胸をなでおろしました。 これが、私が体験した大地震、その当日です。 生まれて初めて、地震がこわいと思いました。
by momine2
| 2011-03-29 23:05
| 日本
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