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2007年 12月 06日
観光系の村落隊員の任地のPuriscalに行ってきた。
ここは、コスタリカの代表的な食べ物「チチャロン」(豚肉のロースト)が名物。 今、チチャロン祭が行なわれている。 「平日の昼間に来ても、出店は出てないし、ダンスはないし、あまり祭の雰囲気を味わえないよ、週末の方がいいよ。」と聞いていたのだが、明日歯の矯正のために抜歯する予定だったので、まあ、コスタリカ一おいしいチチャロンが食べられればいいや。と思って行ってきた。 Puriscalはサンホセから約1時間。山を越えたところに開けているこじんまりとした町。 街の中心に公園と教会があり、そのまわりにMercadoやいろんなお店があるぐらい。 私は4時にエレディアへ帰らなければならなかったので、滞在時間2時間強というあわただしい滞在だった。 着いてすぐに隊員の人が迎えに来てくれた。そしてさっそく肉屋へ。2軒回って、食べくらべすることにした。彼女の配属先へちょっとご挨拶。 ビックリしたのは、配属先の庭に野菜を植えて栽培していたこと。それも活動の一環なんだって。村落の人はすごいね。自分に何ができるか一からいろいろ考えて、工夫しながら試行錯誤しながらやってるんだもん。頭が下がります。 それからホームステイ先にお邪魔して、チチャロンを食べた。ご飯とサラダを用意しておいてくれたので、贅沢な食事でした。 そして思った。「Puriscalのチチャロンは、本当においしい!!!」 今まで私のホームステイ先で食べていたチチャロンは油がなくて固くて、「聞いていたのと違うけど、これがそんなにおいしいのか??」というような代物。 でもここのは、「油たっぷりチチャロン」といううわさほど油っこくなく、ジューシーで味もサイコー。来た甲斐がありました。 そして帰りにおばさんに「チチャロン買ってきて」と頼まれていたので先ほどと同じ2軒のお店で買って、バスのりばへ。 滞在時間のわりに、中身の濃い内容だった。来年はゆっくり週末に行きたいな。 そして夜には、administradora(事務長)が定年退職するので、その送別会が。 彼女はまだまだ若い。日本の定年の歳じゃない。定年の定義を聞いたけどよく分からなかった。とにかく日本と違って年齢で区切ってるわけじゃないらしい。 だからはじめ退職の話を聞いたときはビックリした。 「さびしいよ・・・」と私がいうと「私はうれしい。ゆっくりできる」と言っていたっけ・・・ 彼女とはあまり直接話したことはなかった。いつも忙しそうだったからだ。 こんなことがあった。 10月ごろ、うちの学部で国際的な学会が開かれた。その準備や手配のせいで事務所の人たちはいつになくピリピリ、イライラしていた。 そんなある日、私は授業に使うプリントをコピーしにいつものコピー屋へ。でもその日に限ってものすごく待たされて、授業に遅れそうになった。 授業で必要なものだし、でもこれ以上も待ってられないので、違うコピー屋へ行ってとってもらった。 いつも渡している紙を渡したら、「これうちの書式じゃないから使えない」といって私に請求書を渡してきた。 それを事務長に「混んでて授業に間に合わなそうだったから違うコピー屋でとったんだけど・・・」といいながら渡したら、「なんでそんなことしたの?いつもの店としか大学は契約してないんだから、ほかの店でとっちゃだめよ。たぶん大学はお金をはらわないと思うよ。一応は聞いてみるけど・・・。もうこんなことしないでちょうだい」と叱られた。 彼女の顔は「この忙しいときに・・・」と言っていた。イライラを押さえている顔だった。 (そんなこと言われても知らなかったんだからしょうがないじゃんよ~~!)言いたいのを飲み込んだ。 数日後、「こないだのコピー代、大学が払ってくれるって。よかったね。でも2度としないでね」といってきた彼女は、すっかりおだやかになっていた。 でも、この事件がきっかけで、私は彼女が苦手になっていた。 それは、コスタリカに来て初めて強い口調で何か言われたから。 今思えば、コミュニケーションがたりなかった。それをスペイン語に自信がないから話すのが怖い、イライラさせては迷惑だ、と、言葉のせいにしていた。 大体の人は「スペ語の下手な日本人」と思ってチヤホヤしてくれる。 でも彼女は、私に対してもほかの人と同じように、特別扱いせず扱ってくれた。 私には何も言わないが、JICAボランティアの受け入れに際して必要な一切合財を彼女がしてくれていた。 日本語教師だけいろんな特例が認められているのも彼女の尽力の賜物だろう。 彼女がやめると知ってから、彼女の大きさに気づくなんて・・・ カリキュラムの変更に関する細かい調整を急遽しなければならず、私が送別会会場に着いたのは結構遅くなってからだった。 生バンドの演奏、ダンス、学部長の挨拶、プレゼント贈呈・・・ そしてあっという間に帰らなければならない時間になってしまった。 最後に挨拶に行って、彼女の顔を見た瞬間、なんか熱いものが込み上げてきた。 もっと一緒に仕事がしたかった。 やさしくも厳しく、私を見守っててほしかった。 短い間でしたが、本当にお世話になりました。 これからはゆっくり、おだやかな毎日を楽しんでください・・・ 彼女は私を力いっぱい抱きしめてくれた。
by momine2
| 2007-12-06 04:58
| コスタリカ イベント
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