帰国してからというもの
ずっとダラダラ生活を送っていましたが、この日はちょっと現実に戻ることができました。
午前中は日本語教師隊員OV会があり、新旧問わず元日本語教師隊員が集まりました。
総勢30人ほど。
コスタリカに行く前、技術補完研修で知り合ったなつかしい同志たちにも4年ぶりの再会をはたすことができましたし、コスタリカ派遣中にセミナーで知り合った先生にも再会することができ、当時の苦労話や今後のことについて話に花が咲きました。
それというのも、我々の恩師、技術顧問を30年以上にわたって務めあげ、OVとなってからも心の支えとなってくださっているS先生が学会を立ち上げようとしており、そのための勉強会を開催する、ということで近郊に住む「弟子」たちが集結したわけです。
午後、場所を変えて勉強会が開催されました。
発起人の先生たちは、「海外での貴重な経験や記録を埋もれさせてはいけない。それらを再構成し、記録として残していく必要がある。」また「それらを世に発信していく責務がある」と危機感を抱いています。
くわしくは
こちら。
勉強会では「研究とは」「論文を書くとは」といった基本的なことの分かりやすい講義があり、そのあとでグループワークが行われました。
グループワークではある事例をとりあげ、それについてご自分の経験をもとにいろいろと意見を言い合ったのですが、それが本当に興味深くて、「ああ、みんなそれぞれの場所でその人にしかできない経験をしてきたんだな~」とつくづく思いました。
たった少数のグループ内ですらそうだったのですから、本当に、発起人の先生たちのおっしゃることには心から同感し、私もOVの一人として世に発信するお手伝いをしたい、自分も発信していかなければならないと強く感じました。
私にも、声を大にして世に訴えたいことがあります。
「なぜ"実益"に結び付かない日本語を、あんなに楽しそうに勉強するのか?」
中南米に限らず、アフリカ、中東、大洋州の島々など、協力隊員が派遣されるところのほとんどは日本語なんて習っても”実益”に結び付かない所ばかりです。
では、なぜそういうところにも隊員を派遣しているのか?その意味は?意図は?
それは絶対に日本や東アジアとは違っているはずです。
しかし、世に出ている研究ではそういう「辺境」の地での日本語教育の意義や在り方について取り上げているものはごく少数です。
それを知るために大学院に進学して研究という道を選びましたし、パナマでデータもとってきました。
協力してくれた学生の為にも、その結果は是非世に知ってもらいたい。
「好き」という気持ちが十分学習の動機になりえるということを。
「生涯教育」としての日本語教育もありえるということを。
まだデータの分析はできていませんが、私が現地で感じたのはそういうことでした。
彼らは実益の為に、日本語を勉強しているんじゃない。
そんな「外的」なことではなく、もっと「内的」な何かに突き動かされている。
それはある意味、とても崇高で文化的な「人間らしい」ことなんじゃないか?
ダラダラ生活の中で埋もれてしまった私の情熱を、頭ガツン!思い出させてくれた1日でした。
モーターが止まってしまう前に、頭にクモの巣が張ってしまう前に、元の生活に戻らなければ・・・