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2012年 06月 23日
マレーシアと言えば、ルックイースト政策(東方政策)、ブミプトラ政策、マハティール首相。
中学の社会の時間で習いましたね。 ここでちょっと歴史のおさらい。 1960年代、イギリス植民地時代に移住してきた華人やインド人が経済的な実験を握っており、もともと住んでいたマレー人たち(主に農村に住む)との社会格差が広がっていました。そして1970年代、とうとう暴動が起きてしまいました。それをきっかけに本当にこのままではまずい、この格差をなんとかしなければと、教育や仕事など様々な場面でブミプトラ(土地の子、という意味で、もともといる人たちのことを指します)を優遇する政策を打ち出しました。これがブミプトラ政策です。 そして1981年、マハティール首相(当時)は、マレーシアを近代的な国にするためには西欧(ウエスト)ではなく、それらを取り入れすでに成功した国である日本や韓国などの東(イースト)から学べ、というルックイースト政策(東方政策)を打ち出し、1982年に本格的にスタートしました。両国に留学生等を派遣し、技術や勤労倫理などを学ばせ、それを帰国後に国の発展に役立てようという狙いです。また、それらの国からの投資や企業進出にも広く門戸を開けました。 そして私が今携わっているプログラムが、まさにこのルックイースト政策による留学生政策の第1歩なのです。私が今教えている学生たちが30期生。学生はマレー人(ブミプトラ)オンリーです。 うーん、こうして振り返るだけでもしみじみしてしまいます。 と、いうわけで、ルックイースト政策が施行されてからちょうど30周年に当たる今年、この政策の始まった場所である我が大学、我がAAJ(日本留学予備教育部)がこのセミナーの運営を任され、記念セミナーが行なわれました。 取りまとめ役の先生が日々忙しく走り回っていたセミナーです。 もちろん聞きに行きました。 といっても私はマレー語も英語もできず、何の役にも立たない臨時職員なので、スタッフではなく一般のお客さんとしてですが。 プトラジャヤという最近開発された政府機関が集まる地の、マリオットホテルにおいて開催されました。 ホテルは超高級。こんなにでかいホテルは日本にもないのではないでしょうか。 エントランスを入ったところのホール このひろーいロビーの先がセミナーが行なわれたホール。 会場。 司会のマレー人の日本語の先生、マレー語、英語、日本語だけでなく韓国語も流暢に話していてびっくり! いつも事務所にいけば挨拶してくれる事務の女性、記念品を手渡す係です。う、美しい!! そして、レシーバを持って、会場全体を見て回るあの先生やこの先生。 講演を聞きながら、そっちにも気を取られてしまいました。 そしてそして、ルックイーストと言えばやはりこの人抜きには語れません。 マハティール元首相!! 生で、しかも近くで見れて大感激!!! なんと御歳83歳!! 見えない〰(><)!!本当に元気、ぴんぴんつやつやしてました。 講演は全部英語で、経済の話や政策の変遷の話や、その他もろもろ、正直あまりよく分かりませんでした。 そのよく分からない中、一生懸命脳みそを働かせ、ここの部分はなんとか理解することができました。 当時いろいろ批判もあったそうです。なぜ西欧からの「本物)」ではなく、一端他国が輸入した「ニセモノ」にするのか?とか。 でもマハティール首相は「日本や韓国が自国に取り入れる時点で、要るものと要らないモノが精査され、よりすぐられて、しかも自国の文化と相まって違うモノに変化している。従って我々はそのより洗練され、よりアジア型に適したもの、日本や韓国の文化や価値観も取り入れようとしている。ヨーロッパが一番だとか、偽物だとか、そういう話ではない」とか、そんなようなことを言い、周りを説得しながら、強い信念をもって推し進めたんだとか。 すごい。本当にマレーシアという国を思えばこその情熱。 見習わなくては。 彼はマレーシア人の間でも人気があります。偉い人なのに、とてもフレンドリーで気さくな人らしく、ふつうにその辺のショッピングセンターにいて、ふつうに話したりもするそうです。 帰るときは大勢の人に取り囲まれ、握手を求められていました。 そうそう、マハティールと言えば、休憩のとき、AAJの卒業生だと言う人と話しました。彼は今、日本に関係のある職に着き、マハティール元首相の息子さん(政治家)と一緒に働いているそうです。日本にもよく出張するそうな。 AAJを卒業して、日本へ行き、帰ってきて日本語や身に着けた知識で国の発展に貢献する・・・ この元学生一人見ても、ルックイーストがマハティール元首相の狙い通りに機能していることを証明しています。 私たちが今教えている学生の、その後の成功した姿を見ているようで、なんだかカンゲキ。 私たちが今していること、学生を叱咤激励しながら日々格闘していること、それは決して無駄にはならない。未来へと繋がって行く・・・ 改めて、自分の置かれている状況と、その意味、そして責任の重大さ、すべてがただごとでないことを認識させられました。 そして、この重大な政策の一環に携わることできたことを本当にありがたく思い、身が引き締まりました。 しかし、順調に発展を続けてきたマレーシア、時は流れ、今は「サトゥ・マレーシア(一つのマレーシア)」がスローガンとなっています。民族などに関係なく、みんな一つになりマレーシアを作って行こう、というものです。 今や昔のようなひどい格差はなくなりました。初期に優遇を受けたマレー人たちの子供が成長し、豊かな生活を当たり前だと思うようになりました。優遇を受けられるからと、努力しないマレー人も増えたそうです。 どこの国もそうですね。それが当たり前になると、とたんに有難味が薄れ、努力することを忘れていく・・・ しかもマレーシアはもう日本を「ルック」しなくてもいいほどに、むしろマレーシアからいろんなものを発信できるほどに発展しました。 ですから、ブミプトラ政策を基に出来上がったルックイーストはもはや下火となり、いつまで、どのような形で続くのかはわかりません。 昼食も用意されていました。 午後にはいくつかの部屋でいろんな分野に関する研究発表も行なわれたのですが、この日一緒に行った同僚が体調不良、私も疲れがピークに達していたので、お昼を食べて早々にひきあげました。 最後に、運営に携わったみなさん、本当におつかれさまでした。
by momine2
| 2012-06-23 01:57
| マレーシア イベント
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